令和元年5月15日午後実施
市内の寺院より、敷地内南側の庫裏と道路沿いの塀との間にある目通り180cmのヒノキ等の伐採の依頼がありました。
現在当社にて、同敷地内にある文化財に匹敵する東側の庫裏移築に伴う解体工事を請け負っており、同時に敷地内の立木の伐採や枝下ろしも依頼されました。
当該の庫裏は30年以上前に宮大工の手によって建てられたもので、柱や内装等の見える箇所には非常に高価な柾目の木曽ヒノキをふんだんに使用した非常に豪華な建物でした。
当寺院と関係のある宮城県南三陸町の寺院が東日本大震災の津波により被災消失し、再建のために当該の庫裏を解体して材を寄贈するという事業に携わっています。
解体移築計画は寺院の檀家の一人である当社のお客様より話があり、廃棄を目的とする解体工事ではないことや宮大工が建てた建物であることから、費用面や請ける業者が見つからずに寺院側では困っていました。
当社では解体古材取得目的での古民家解体を過去に数回施工しており、作業の流れを把握していることや市内のお客様が困っていたことで今回の作業を請け負うことにしました。
作業内容としては建物の解体から更地化、解体材の梱包及び南三陸町へ運送することとして、現在本業と並行しています。
解体作業は当社のお客様でもあるさいたま市の宮大工さんに依頼し、解体はユニックでの吊り作業を除いて全て手作業で行っています。
当社では元請として手の空いてる作業員をほぼ毎日派遣し、大工さんの手伝いや必要資材の手配及び搬入、解体材の当社置場までの集積を本業の合間を見計らって進めています。
ここで、解体工事の他に依頼されていた立木の伐採や枝下ろしのうち、今回は南側庫裏と塀との間にあるヒノキをまずは伐採することにしました。
このヒノキは道路側に傾いており、設置された塀に迫って瓦へ当たりそうになっていることや、台風などで万が一倒れてしまわないように伐採したいとのことでした。
枝下ろしを含む作業のため秋以降の施工を予定していましたがヒノキ1本のみが伐採で、丁度市内で午前のみ12tクレーンを使用する伐採があったため、空いた午後にヒノキだけを先行して伐採することにしました。
解体・搬出作業に伴い、解体材積込用として当社のユンボとフォークリフトが張り付いているため、最低でも伐採のみ完了すれば良いということで作業を開始しました。
午前のヤマザクラの伐採が順調に早く終了し、午前のうちにクレーンや運搬車両を当寺院へ回送しました。
ヒノキは道路のすぐ脇に立っているため道路から伐採した方が非常に容易とのことでしたが、1本のために通行止め道路使用許可を申請する必要性が無いと判断し、庭からのクレーン作業を提案していました。
ヒノキは太い部類に入るものの曲ったり節が多かったりと無理に4m材を採る必要性がないため、庭にクレーンを設置して庫裏を跨いで作業することが可能でした。
敷地内には16tクレーンを搬入できるスペースがありましたが、地盤や石畳の耐久性を考慮するとミニラフターが妥当で、それでも不安なため矢板や厚ベニヤを敷いて石畳を養生しました。
クレーンとヒノキとの距離は約19mも離れており、揚程確保と庫裏の屋根への干渉を防ぐためにジブ拡張しました。
ジブ拡張したことで十分な作業能力を確保できませんでしたが伐採木がヒノキであるため、伐採に最低限必要な作業能力は問題なく確保することができました。
二又になった梢端部をそれぞれ吊り伐りし、枝付きの状態で3番玉を胴切して樹冠部を伐り下ろしました。
2番玉を胴切する際、元木を4m材として能力限界で吊り伐りできることが分かったので、元木は4m材となるように2番玉を胴切しました。
根元は根張りに穴があったものの芯に大きな腐れはなく、チップ材になることは免れましたが目は粗く、節の跡が多数みられるため利用価値を大きく見ることはできませんでした。
寺院内へ当社のどのトラックも進入可能でしたが、大工さんの車両や解体材等で敷地内が狭くなっているため、伐採材は午前に引き続きローダーダンプに積んで搬出しました。
ヒノキの伐採と積込みは15時過ぎまでに終了し、12tクレーンは残った時間で大工さんのユニックでは届かない庫裏の奥側の屋根の部材解体に駆り出されていました。
いよいよ明日は南三陸町への第一便が発つ予定となっており、運送は地元の運送屋さんの10t車を手配し、第一便には当社もトラック2台で同行して屋根瓦や玄関周りの解体材を積んで三陸へ届けに行きます。
連休を除いて本日で解体着工(4月15日)後丁度1ヶ月となりました。手作業のため、屋根や骨組みはまだ解体されていません。