6月16日、入間郡金子村上谷ヶ貫の農家増岡藤吉の三男として創業者増岡健作が誕生。
HISTORY有限会社増岡材木店の過去・現在
そして未来へ
- 現在
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1897年
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1920年
農家より分家するにあたり、藤吉と材木業の修業(伐採と丸ノコ製材)を開始。同時に材木商「増藤」を創業。
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1923年
増岡材木店へ社名を変更して本格創業開始。藤吉の頭文字「ト」を取り、ヤマトの屋号を制定。
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1925年
1月19日、増岡健作の長男として2代目増岡繁治が誕生。
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1930年
フォードとシボレーのトラックを購入。
奥多摩地区の立木を買い、伐採して東京芝浦埠頭等へ足場丸太等を運送・販売。
丸ノコ製材機以外にテーブル式帯鋸製材機も導入。
伐採職人、製材職人、木挽職人、トラック運転手等、当時36人の職人が仕事に従事。 -
1934年
旧陸軍狭山飛行場の建設に伴い、建設地内のヒノキやスギの大木等を伐採。
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1936年
発売から間もなくしてトヨタのトラックを購入、当時トラックが3台体制となる。
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1943年
戦時中、燃料不足で個人のトラック所有が困難になり、9月1日付で興亜自動車(現:武蔵貨物自動車株式会社)を共同出資創業。
同時にフォードとシボレーを興亜自動車へ出資し、非常勤の取締役に就任。 -
1947年
材木店の並行事業として製茶・増岡園を創業し、現本社住所の敷地内に製茶工場を新設。ボイラーの燃料は樹皮や端材、炭を全て材木店より供給。
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1952年
奥多摩・小河内ダムの建設に伴い、建設地内の広葉樹林を伐採。産出材から枕木や電柱用の笄材を製材。
12月15日、増岡繁治の長男として3代目増岡健司が誕生。
12月27日、有限会社増岡材木店を設立。同時に増岡健作が初代代表取締役に就任。 -
1955年
製茶工場として使用していた現本社住所の敷地内に自宅を新築し転居。
製茶時期は材木店を休業し、毎日24時間体制で製茶工場を操業。昭和42年頃まで武蔵町(現入間市付近)第2位の荒茶生産量を誇る。 -
1957年
中田機械製1000mm帯鋸盤と送材車を導入し、自宅敷地内に工場新設。
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1965年
武蔵オガライトを並行設立し、増岡材木店、増岡園の3事業を同時経営。
オガクズを圧縮した燃料「オガライト」を1日4tを生産、問屋を通じて販売を開始。 -
1967年
12月26日、増岡健作の逝去に伴い、増岡繁治が2代目代表取締役に就任。
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1968年
自宅敷地内に工場増設。大井製作所製1100㎜帯鋸盤・全自動送材車を導入し、外材の製材を本格的に開始。
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1977年
現製材工場竣工。
富士製作所製1200㎜帯鋸盤・全自動送材車を導入し、長さ14m、最大胴割径1.3m・最大製材幅1.5mまでの帯鋸製材が可能となる。
移動式電動チェーンソー胴割機により最大製材幅2.4mまでの胴割製材も可能となる。 -
1980年
横山鐵工所製自動給材機付き全自動オートテーブル製材機を導入し、大量生産に対応。
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1981年
日本農林規格JAS認定工場取得。
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1985年
当社取扱最大、長さ6.4m、末口直径1.98m、元口直径2.25m、推定重量20tの米松ピーラー材の胴割製材を実施。
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1991年
4月12日、増岡健司の長男として4代目増岡祐希が誕生。
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1998年
数多くのケヤキ大木を買い取って伐採し、一部は自宅新築用として製材。
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2002年
5月17日、増岡繁治の逝去に伴い、増岡健司が3代目代表取締役に就任。
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2004年
東京・青梅市武蔵御嶽神社大鳥居建替えに伴い、新鳥居用ヒノキ原木丸太を製材。
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2014年
4月1日、増岡祐希が東京農業大学地域環境科学部森林総合科学科卒業と同時に正式入社。
製材事業メインから伐採事業メインへ本格シフト。 -
2015年
当社地元地域で最大級のケヤキ群「谷ヶ貫の大ケヤキ」の買取伐採・抜根工事を施工。
うち、1本(目通り3.6m、長さ9mの長尺ケヤキ)は第59回全国銘木展示大会において中部森林管理局長賞を受賞。 -
2018年
11月7日、当社伐採(当時)最大、目通り4.3m、推定樹齢400年のケヤキ御神木の伐出作業を施工(東京・東村山市)。
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2020年
2月12・13日、当社伐採最大、目通り6mケヤキ巨樹の伐出作業を施工(埼玉・秩父市)。全幹重量約21t、全木重量約30t。
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2021年
1月1日、伐採事業の専業化に伴い、増岡祐希が4代目代表取締役に就任。同時に増岡健司が会長職に就任。
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2022年
11月18日、当社伐採の目通り3.5m、樹齢300年、長さ10mの超長尺ケヤキ(東京・八王子市)が全国優良木材展示会において林野庁長官賞を受賞。
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2023年
創業100周年到達。
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1897年
6月16日、入間郡金子村上谷ヶ貫の農家増岡藤吉の三男として創業者増岡健作が誕生。
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1920年
農家より分家するにあたり、藤吉と材木業の修業(伐採と丸ノコ製材)を開始。同時に材木商「増藤」を創業。
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1923年
増岡材木店へ社名を変更して本格創業開始。藤吉の頭文字「ト」を取り、ヤマトの屋号を制定。
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1925年
1月19日、増岡健作の長男として2代目増岡繁治が誕生。
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1930年
フォードとシボレーのトラックを購入。
奥多摩地区の立木を買い、伐採して東京芝浦埠頭等へ足場丸太等を運送・販売。
丸ノコ製材機以外にテーブル式帯鋸製材機も導入。
伐採職人、製材職人、木挽職人、トラック運転手等、当時36人の職人が仕事に従事。 -
1934年
旧陸軍狭山飛行場の建設に伴い、建設地内のヒノキやスギの大木等を伐採。
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1936年
発売から間もなくしてトヨタのトラックを購入、当時トラックが3台体制となる。
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1943年
戦時中、燃料不足で個人のトラック所有が困難になり、9月1日付で興亜自動車(現:武蔵貨物自動車株式会社)を共同出資創業。
同時にフォードとシボレーを興亜自動車へ出資し、非常勤の取締役に就任。 -
1947年
材木店の並行事業として製茶・増岡園を創業し、現本社住所の敷地内に製茶工場を新設。ボイラーの燃料は樹皮や端材、炭を全て材木店より供給。
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1952年
奥多摩・小河内ダムの建設に伴い、建設地内の広葉樹林を伐採。産出材から枕木や電柱用の笄材を製材。
12月15日、増岡繁治の長男として3代目増岡健司が誕生。
12月27日、有限会社増岡材木店を設立。同時に増岡健作が初代代表取締役に就任。 -
1955年
製茶工場として使用していた現本社住所の敷地内に自宅を新築し転居。
製茶時期は材木店を休業し、毎日24時間体制で製茶工場を操業。昭和42年頃まで武蔵町(現入間市付近)第2位の荒茶生産量を誇る。 -
1957年
中田機械製1000mm帯鋸盤と送材車を導入し、自宅敷地内に工場新設。
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1965年
武蔵オガライトを並行設立し、増岡材木店、増岡園の3事業を同時経営。
オガクズを圧縮した燃料「オガライト」を1日4tを生産、問屋を通じて販売を開始。 -
1967年
12月26日、増岡健作の逝去に伴い、増岡繁治が2代目代表取締役に就任。
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1968年
自宅敷地内に工場増設。大井製作所製1100㎜帯鋸盤・全自動送材車を導入し、外材の製材を本格的に開始。
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1977年
現製材工場竣工。
富士製作所製1200㎜帯鋸盤・全自動送材車を導入し、長さ14m、最大胴割径1.3m・最大製材幅1.5mまでの帯鋸製材が可能となる。
移動式電動チェーンソー胴割機により最大製材幅2.4mまでの胴割製材も可能となる。 -
1980年
横山鐵工所製自動給材機付き全自動オートテーブル製材機を導入し、大量生産に対応。
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1981年
日本農林規格JAS認定工場取得。
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1985年
当社取扱最大、長さ6.4m、末口直径1.98m、元口直径2.25m、推定重量20tの米松ピーラー材の胴割製材を実施。
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1991年
4月12日、増岡健司の長男として4代目増岡祐希が誕生。
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1998年
数多くのケヤキ大木を買い取って伐採し、一部は自宅新築用として製材。
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2002年
5月17日、増岡繁治の逝去に伴い、増岡健司が3代目代表取締役に就任。
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2004年
東京・青梅市武蔵御嶽神社大鳥居建替えに伴い、新鳥居用ヒノキ原木丸太を製材。
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2014年
4月1日、増岡祐希が東京農業大学地域環境科学部森林総合科学科卒業と同時に正式入社。
製材事業メインから伐採事業メインへ本格シフト。 -
2015年
当社地元地域で最大級のケヤキ群「谷ヶ貫の大ケヤキ」の買取伐採・抜根工事を施工。
うち、1本(目通り3.6m、長さ9mの長尺ケヤキ)は第59回全国銘木展示大会において中部森林管理局長賞を受賞。 -
2018年
11月7日、当社伐採(当時)最大、目通り4.3m、推定樹齢400年のケヤキ御神木の伐出作業を施工(東京・東村山市)。
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2020年
2月12・13日、当社伐採最大、目通り6mケヤキ巨樹の伐出作業を施工(埼玉・秩父市)。全幹重量約21t、全木重量約30t。
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2021年
1月1日、伐採事業の専業化に伴い、増岡祐希が4代目代表取締役に就任。同時に増岡健司が会長職に就任。
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2022年
11月18日、当社伐採の目通り3.5m、樹齢300年、長さ10mの超長尺ケヤキ(東京・八王子市)が全国優良木材展示会において林野庁長官賞を受賞。
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2023年
創業100周年到達。
PRESENT現在
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2024.04.18埼玉県入間市 当社製材工場隣の牧場周辺(丘上)のコナラ等の伐採
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2024.04.06埼玉県入間市 当社製材工場隣の牧場周辺(丘下)のクヌギ等の伐採
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2024.03.07埼玉県富士見市 月極駐車場内のケヤキ大木等2本の伐採
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2024.03.03埼玉県飯能市 屋敷裏のスギ14本、ケヤキ1本等の伐採(2)
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2024.03.02埼玉県富士見市 道路際のケヤキ大木の伐採
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2024.02.29東京都小平市 建物解体跡地のケヤキの買取伐採
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2024.02.24埼玉県飯能市 屋敷裏のスギ14本、ケヤキ1本等の伐採(1)
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2024.02.12埼玉県日高市 屋敷内のケヤキ1本の買取伐採
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2023.12.25埼玉県入間市 寺院境内のナラ枯れ1本、スギ2本の伐採
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2023.12.22埼玉県入間市 神社境内の枯れアカガシ等3本の伐採
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2023.12.20埼玉県入間市 神社境内のシイ、ヒノキの伐採
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2023.11.22埼玉県入間市 屋敷裏のケヤキ等3本の伐採
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2023.11.10埼玉県入間市 丘陵地内の実生ヒノキ長尺大径木等7本の買上伐出
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2023.10.29埼玉県狭山市 工場隣接山林の林縁支障樹木の伐採
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2023.10.13埼玉県入間市 神社境内のイチョウ大木等3本の伐採
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2023.10.05埼玉県入間市 屋敷裏山林のナラ枯れ枯損樹木の伐採
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2023.05.12埼玉県入間市 JR八高線沿い山林の皆伐
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2023.04.21埼玉県所沢市 雑木林林縁樹木の伐採
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2023.04.20東京都八王子市 山林林縁河川脇のケヤキ高木の伐採
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2022.10.13東京都八王子市 「銘木・大木・古木」超長尺ケヤキの買取伐採(2)
OBSESSION増岡材木店のこだわり
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原木を製材してと材木屋が
伐採します。木を伐採・搬出し、製材・流通まで当社は創業当時と変わらず、さまざまな状態の木材を取り扱い続けております。
木の用途や価値を知り、丸太を製材して流通させる材木屋が木を伐採するので一般の伐採業者とは違います。 -
当社では自然からの恵みに感謝し、
伐採した木材は無駄にしません。材木屋が伐採してるから木の再利用方法を知り、駄目な材でもチップや薪で再利用、良い材は製材用で再利用、せっかく育った木を無駄にしない。
再利用可能な状態、価値のある状態で伐採搬出して来ることが当社の方針です。 -
伐採材の再利用・資源化
100%を目指します。近年、ロープアクセスによるアーボリストという海外版空師と呼ばれる人口が増えています。
これらはツリーケア、いわゆる剪定や手入れのために樹木に登って作業する人たちのことで、時には伐採もこなします。
しかしながら、木材についての知識が少ないため価値のある木でも短く伐ってしまったり、条件がゆえに短く伐らざるを得ないことが多く見受けられます。
逆に日本版空師とは、昔はビルなどの高い建物が無かった時代に木に登り、一番空に近い場所で伐採してきた職人のことを指し、
さらには日本では木を使う文化が古来より発達していたので、それらをいかに使えるように伐採して搬出できるかが腕の見せ所です。
ただ木に登って伐採している職人を一般に空師と呼ばれていますが、木をいかに知って材木として伐採と搬出ができる、本当の「空師」は少ないのです。
今、当社では現社長が空師を兼務しています。
SDGsに対する取り組み
有限会社増岡材木店では、
「自然からの恵みに感謝し、伐採した木材は無駄にしません」
「伐採材の再利用・資源化 100%を目指します」
地球環境をより良くしていくために、
木材を活用し、木材を生活の中で活かしていく。
当社は、より良い地球環境のため、SDGsに対する取り組みを行って参ります。
FUTURE未来
有限会社増岡材木店の取り組み
伐採・木材利用へ
conceptコンセプト
- 当社では自然からの恵みに感謝し、伐採した木材は無駄にしません。
- 伐採材の再利用・資源化100%を目指します。
- 木材の利用促進に努めます。